NIO の散歩道 365 植物図鑑風写真集
和名スイカ(西瓜)
園芸(流通)名
別名
科ウ リ
属(和名属)キトルルス(スイカ)
学名Citrullus lanatus
ラテン語読みキトルルス・ラナツス
英名Watermelon
原産・分布地南アフリカのカラハリ砂漠原産
園芸上分類蔓性一年草

 スイカは、南アフリカのカラハリ砂漠原産の蔓性一年草である。 発芽して本葉が5~6枚展開するまでは主蔓の伸長を見ないが、 以後主蔓の伸長と返し蔓の伸長が見られる。 返し蔓は主蔓と同じような勢いで伸長し、 ともに側枝を分枝しながら果実生産の主体を形成し長さ7~10mに達する。
 蔓の伸長開始と同時に、葉腋から2~4個に分枝した巻きひげを発生し、 周辺の草やわらにかたく巻き付き、 蔓の動揺を極力防止する役目を果たしている。
 花は単生でが、栽培品種によっては、 ときどき両性花をつけることがある。
 第1雌花は、主蔓の9~15節の間に着生し、 以後5~6節ごとに次々と着生するが、 2花連続して着生することは少ない。
 二枚目(左)は、雌花で花の下にスイカの赤ちゃん (下位子房という)を見ることができる。 また、三枚目(左下)は、雄花で雄しべは3個ある。

 スイカが日本に伝来したのは、16世紀のころとするのが通説である。 しかし、1880年代の明治中期に 近代スイカが誕生を見るまでの期間に関する消息は 整理され公刊されていない。
 その後、1902年(明治35)から品種改良事業が開始され、 その成果として品質の良いと評価されるスイカが 奈良県から産出されるようになり、 1916年(大正5)ごろ、大阪市の卸売市場で、 誰からとなく大和スイカの名でよばるるようになり、 大和スイカ時代が始まった。
 奈良県の大和スイカ系の育成に続いて、 千葉において都スイカ系の育成が行われた。水田輪換作として大和スイカ、 畑作として都スイカといったかたちで、 全国を2大品種群で2分するようにしてスイカ栽培が普及してきた。
 大戦後、ビニルフィルムの出現による省力安定化技術の普及と、 品種群の拡大、さらには接ぎ木技術の進歩などが スイカの栽培上の特質を変えることとなった。 すなわち産地の移動と大型化、生産の周年化をもたらしつつ、 国民生活における重要作物の地位を不動のものとした。
[ 引用 : 園芸植物大事典 ( 塚本洋太郎総監修:小学館発行 ) ]

 スイカというと、「スイカの名産地」という歌を思い出す。 アメリカ民謡を童話作家の高田三九三(さくぞう) 氏が訳されたものですが、
若かりし頃に行ったキャンプでよく唄った記憶がある。

  1枚目画像撮影日:2005.06.26
2・3枚目画像撮影日:2004.06.13

2015.04.28 First making day [3s/33su/179400]
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