マツバウド
ユ リ ➡ キジカクシに変更(APGⅢ)
アスパラガス(クサスギカズラ)
Asparagus officinalis var. altilis
アスパラガス・オッフィキナリス
(変種)アルティリス
Edible asparagus
ヨーロッパ・イギリス原産
常緑多年草
アスパラガスとは、「食用アスパラガス」のことである。
食用アスパラガスは、雌雄異株であり、一枚目(右)の花が雄花か雌花かは不明である。
食用アスパラガスは、ヨーロッパ原産のアスパラガス属の1種、オランダキジカクシの変種
Asparagus officinalis var. altilis
であり、その若い茎を食用とする。本属の中でも食用に適した太くて柔らかい茎が育つのは、
この var. altilis のみです。
日本では1871年(明治4)に栽培法が、1887年に食べ方が述べられている。
その後、北海道や青森に土着する一方、横浜や神戸の郊外で栽培されるようになりました。
最近は、冷涼地のみならず暖地にも栽培が広がり、周年栽培に近づきつつある。
[ 引用 : 園芸植物大事典 (塚本洋太郎総監修:小学館発行)、
花の名前(植村猶行監修:NHK出版)]
皆さん知っていましたか。「アスパラガスの塔」(四枚目)というモニュメントが有ることを!。
アスパラガスの塔は、北海道喜茂別(きもべつ)町中山峠にある3本のアスパラガスを模した
金属製のモニュメントである。日本における本格的なアスパラガス栽培発祥の地である
喜茂別町のシンボルとして、1990年1月に建立されたものである。
でも、疑問が有る。日本で最初(1922年)にアスパラガスが栽培された場所は、
北海道岩内(いわない)町である。岩内町には「日本のアスパラガス発祥の地碑」がある。
その疑問は次の説明で解決した。
アスパラガスを日本で初めて作ることを成功させたのが岩内町出身の農学博士・
下田喜久三氏である。研究の結果、1922年に寒冷な気候で育ち、
食べることもできる新品種を開発した。そして翌年には現在の共和町に
40ヘクタールの直営農場を設けて大規模に作り始め、それと同時に冷害対策として、
周辺の農家に対して作ることを勧めた。
このように、岩内町はアスパラガスと深いつながりがあることから、
それを記念して「発祥の地」としているわけである。
ただし、岩内町はアスパラガスを作るにはあまり適した土地ではなかったようである。
その後の大規模な生産は喜茂別町で行われるようになった。
そのため喜茂別町にも「アスパラガス揺籃(ようらん:始まりという意味)の地」
という碑が建てられている。
左の三本の塔が喜茂別(きもべつ)町にあるアスパラガスを表している塔である。
後ろに見えるのは羊蹄山である。
今ではすっかり観光スポットになっているそうである。
三枚目(左上)は、こまさんから、『 アスパラの実です。初めて見たので聞いてみたら♂♀が有るそうです。』 とのコメントをつけて、私に送ってくれた貴重なアスパラガスの実の画像である。果実は径7~8㎜の球形で緋紅色である。
四枚目(左)も、こまさんから、次のコメントをつけて、私に送ってくれたものである。
『 雲の羊蹄山です。何度も羊蹄山の画像を貼り付けて
いますが、今日にはまた違ったアングルで・・・・三本の
塔はアスパラです。アスパラの発祥地だそうです。』
【追記】
クサスギカズラ属は、APGⅢでユリ科から分離し、
キジカクシ(クサスギカズラ)目キジカクシ(クサスギカズラ)科のクサスギカズラ亜科に変更された。