スイカは、南アフリカのカラハリ砂漠原産の蔓性一年草である。
発芽して本葉が5~6枚展開するまでは主蔓の伸長を見ないが、
以後主蔓の伸長と返し蔓の伸長が見られる。
返し蔓は主蔓と同じような勢いで伸長し、
ともに側枝を分枝しながら果実生産の主体を形成し長さ7~10mに達する。
蔓の伸長開始と同時に、葉腋から2~4個に分枝した巻きひげを発生し、
周辺の草やわらにかたく巻き付き、
蔓の動揺を極力防止する役目を果たしている。
花は単生でが、栽培品種によっては、
ときどき両性花をつけることがある。
第1雌花は、主蔓の9~15節の間に着生し、
以後5~6節ごとに次々と着生するが、
2花連続して着生することは少ない。
二枚目(左)は、雌花で花の下にスイカの赤ちゃん
(下位子房という)を見ることができる。
また、三枚目(左下)は、雄花で雄しべは3個ある。
スイカが日本に伝来したのは、16世紀のころとするのが通説である。
しかし、1880年代の明治中期に
近代スイカが誕生を見るまでの期間に関する消息は
整理され公刊されていない。
その後、1902年(明治35)から品種改良事業が開始され、
その成果として品質の良いと評価されるスイカが
奈良県から産出されるようになり、
1916年(大正5)ごろ、大阪市の卸売市場で、
誰からとなく大和スイカの名でよばるるようになり、
大和スイカ時代が始まった。
奈良県の大和スイカ系の育成に続いて、
千葉において都スイカ系の育成が行われた。水田輪換作として大和スイカ、
畑作として都スイカといったかたちで、
全国を2大品種群で2分するようにしてスイカ栽培が普及してきた。
大戦後、ビニルフィルムの出現による省力安定化技術の普及と、
品種群の拡大、さらには接ぎ木技術の進歩などが
スイカの栽培上の特質を変えることとなった。
すなわち産地の移動と大型化、生産の周年化をもたらしつつ、
国民生活における重要作物の地位を不動のものとした。
[ 引用 : 園芸植物大事典
( 塚本洋太郎総監修:小学館発行 ) ]
スイカというと、「スイカの名産地」という歌を思い出す。
アメリカ民謡を童話作家の高田三九三(さくぞう)
氏が訳されたものですが、
若かりし頃に行ったキャンプでよく唄った記憶がある。