ブドウは、ブドウ属の1~2種を起源とする
栽培植物の総称で、果実を食用とする果樹である。
ブドウ属は、中央アジア~地中海沿岸地域、
北アメリカとカリブ海沿岸地域、東アジアの3地域におもに分布している
巻きひげのある落葉性の蔓性木本で、ときに低木状となる。
葉は単葉で掌状に裂けるものが多い。
花は両性および雄性で5数性を有し、葉と対生する円錐状の集散花序につく。
萼裂片はきわめて小さいか不明である。花弁は頂部で合生しており、
開花時に帽子を脱ぐように落ちる。
花盤は5個の密腺となる。子房は上位で2室あり、
各室に2胚珠をいれる。果実は液果である。
日本には、
ヤマブドウ などの野生種が広く分布している。
1枚目画像(右上)は、みずがめ座さんが、
次のコメントをつけて、私に送ってくれたものである。
『 勝沼のワイナリーのブドウ畑です。
このぶどうが秋には美味しいワインになります。』
2枚目画像(左上)は、こまさんが、
次のコメントをつけて、私に送ってくれたものである。
『 先日ウオーキングがてらブドウ狩りに行って来ました。
ブドウ狩りって生まれて初めてなんですよ!
粒を手で一個づつ取っては、あとの房が見苦しくなるので
小さなハサミを渡され2~3粒づつ房から切って
食べて欲しいとの事、当たり前ですよね。
何種類ものブドウをしっかり食べてきました。』
【日本におけるブドウ栽培の沿革】
日本でのブドウの栽培は平安時代末期に発見された「甲州」の栽培に始まる。
1186年(文治2)に山梨県勝沼町の山中(城の平)において雨宮勘解由(かげゆ)
氏が自生のヤマブドウとは明らかに形態を異にする
ブドウ1株を路傍で発見し、移植、栽培に移したのが現在の栽培品種
「甲州」の始まりであると伝えられている。
「甲州」は発見後600年近く栽培普及は遅々として進まなかったが、
元禄時代(1688~1704)に入ってようやく広く知られるように
なって栽培が急増し、江戸末期の1857年(安政6)
には全国で300haの栽培面積に達している。
「甲州」はその形状から見て明らかに
V. vinifera (V.ウィニフェラ
(和名:ヨーロッパブドウ))の系統であり、その種子はおそらく
中国から渡来したものと推定される。
城山桃夫氏は渡り鳥による渡来の可能性を唱えているが、
もちろん証拠があってのことではない。
なお、現在の棚仕立てによる栽培法はすでに17世紀前半ころから
「甲州」で始められている。
一方、桃山時代あるいは江戸時代初期から、
わずかであるが京都でのみ栽培され、昭和初期まで実在したブドウに
「聚楽(しゅうらく)」がある。その起源沿革には諸説あって確かでないが、
やはり「甲州」同様 V. vinifera
であったといわれる。
今は幻のブドウである。
近代的なブドウ栽培は、明治時代になって政府の勧農政策により、
欧米や一部には中国から導入された多数の外来品種の試作に
始まる。
しかし、 V. vinifera
の多くの栽培品種は日本の高温多湿の風土には適応せず
露地栽培が失敗に終わり、2・3の栽培品種のみ
がガラス室で栽培されることになった。
他方、雨に強い
V. labrusca (V.ラブルスカ
(和名:アメリカブドウ))やその雑種の栽培には成功し、
当初の栽培品種数こそ
かなり整理されたものの、
大正中期には栽培面積5000ha、生産量2.5万tに達した。
栽培はその後も増加し、1935年(昭和10)には戦前の最高を記録した。
戦時中は一時的にかなり減少したが、戦後は昭和30年(1955)
代に入って栽培はふたたび急増し、1986年(昭和61)現在の統計に
よれば結果樹面積は約2.6万ha、生産量は30万tに達し、
生産量ではカンキツ、リンゴ、日本ナシに次ぐ日本第4位の果物となって
いる。そのほとんどは生食用として消費され、加工用はわずか数%にすぎない。
[ 引用 : 園芸植物大事典
( 塚本洋太郎総監修:小学館発行 )、
花の名前( 植村猶行監修:NHK出版 )]
【追記】
平成23年(2011)のブドウの作付面積は1.55万haであり、「巨峰(35%)」、
「デラウェア(19%)」、「ピオーネ(15%)」の3品種で
全体の7割を占めている。
また、収穫量は平成21年(2009)で、20万2,200tであり、
都道府県別にみた収穫量割合は、山梨県が25%(5.06万t)、
長野県が13%(2.71万t)、山形県が10%(2.01万t)となっており、
この3県で全国の約5割を占めている。