サクラ属は、落葉または常緑の高木または低木で、
冬芽
はかわら重ね状に並んだ多くの鱗片で保護されている。
葉は単葉で互生し、鋸歯縁で多くは葉柄の上部か、
葉身の基部に1対の密腺をつける。托葉は落葉性である。
花はふつう両性で単生するか、あるいは2~10個を散房状、
散形状または総状花序につける。萼筒は円筒状または杯状で、
萼裂片は5個で、花弁は5枚で、雄しべは多数で花弁とともに花床の周辺につく。
雌しべは1個で、果実は石果で、縦のへこみがあるか、
なく、なかに1個のかたい核がある。
サクラ属は少数種がインド、マレーシアや南アメリカのアンデス山系にも自生する。
大部分はアジア東部を主とした北半球温帯に分布し、
世界でおよそ200種、なかには主要な果樹が含まれている。
サクラ属は、通常5亜属(サクラ亜属、ウワミズザクラ亜属、スモモ亜属、
モモ亜属、バクチノキ亜属)といくつかの節に分けられている。
花が美しく観賞されるサクラ類(サクラ亜属のサクラ節およびミヤマザクラ節)は、
東アジアに分布が集中し、少数がヒマラヤや中国に自生している。
しかし、園芸的にサクラとして取り扱われているものの大部分は日本に産する。
サクラ類が日本を代表する花として有名になったのも、花の美しい自生品種が多いことと、
これらからたくさんの園芸品種が育成、保存されてきたからである。
また、野生状態で交雑してできた自然交雑種も少なくない。
日本に野生するサクラ類は形態や開花期そのほかの特性から、
通常、ヤマザクラ群、エドヒガン群、マメザクラ群、カンヒザクラ群、
チョウジザクラ群、ミヤマザクラ群の6群に分類(後述説明参照)されている。
このほかサクラ類にはソメイヨシノのような自然交雑種や、
多数の栽培品種を含むサトザクラ群がある。
三・四枚目(左上・左)は、日本いや世界のサクラの代表となった
「ソメイヨシノ(染井吉野)」である。
その名は東京の染井の植木屋から世に広がったとしてつけられた。
本種は、竹中要博士がオオシマザクラとエドヒガンとの
自然交配種であることを実験的に確認した。
日本はもちろんのこと、海外まで広く栽培される落葉高木である。
枝は太く成長がすこぶる早い。4月上旬、新葉に先立ち、
淡紅白色の花が木全体をおおっていっせいに咲く。
花は1芽に3~4個つき、径4㎝内外の一重咲きで花弁は2裂する。
花がすばらしく丈夫なので、サクラ類の代表のように各地に多く植えられ、
毎春発表されるサクラ前線の便りも本種の開花状況が報じられている。
五・六枚目(左上・左)は、野の調べさんが、「春爛漫」のタイトルで、
次のコメントをつけて、私に送ってくれたものである。
『 今年の桜の開花は早く、もう藤の花が咲き始めて
ます。先日、黎明館で写した桜です。』
【日本産サクラ類の分類と特徴】 なお、サクラの品種および園芸品種は、
こちら
からリストを左欄に表示し検索して下さい。
① エドヒガン群 (本図鑑では、
エドヒガン 、
コヒガンザクラ 、
シダレザクラ 、
ベニシダレ 、
ヤエベニシダレ を掲載)
彼岸の名がついているように早咲きで、葉が開く前に開花する。花はやや小さく、
萼筒が壺状で葉縁には細鋸歯があり、密腺は葉身の基部にある。
葉はやや長く、平行した側脈が10本内外ある。
② カンヒザクラ群 (本図鑑では、
カンヒザクラ 、
カンザクラ 、
オオカンザクラ 、
オカメ 、
ヨウコウ を掲載)
高さ5~7mの低木または小高木で、分枝はやや少ないが枝は太い。
開花は早く、花は垂れて下向きに開く。
③ チョウジザクラ群
低木または小高木で、幹は直立せず、株立ち状のものが多い。葉は倒卵形で先がとがり、
表裏に毛が多く、縁には欠刻状の鋸歯がある。
④ マメザクラ群 (本図鑑では、
マメザクラ 、
チシマザクラ を掲載)
低木か小高木で、幹の下部から枝を出す。葉は小さく、欠刻状の重鋸歯縁となる。
花は小形で、展葉と同時か、それより早く開く。
果実は小形で、甘みのあるものと酸味の強いものとがある。
⑤ ミヤマザクラ群
花は総状花序につき、小花柄の基部につく葉状の苞は果実が熟するころまで残存する。
また。萼裂片は花時には反曲する。
⑥ ヤマザクラ群 (本図鑑では、
ヤマザクラ 、
オオシマザクラ 、
オオヤマザクラ を掲載)
高木で葉の縁には単鋸歯がある。萼筒は基部のほうがしだいに細くなる円筒形で、
通常無毛であり、密腺は葉柄の上部につく。
果実は小さくて黒熟するが、苦みが強く食べられない。
七~九枚目(左~左下八)は、 Junko さんが、「臥龍桜」の タイトルで、『 臥龍桜お届けします。』 とのコメントをつけて、私に送ってくれたものである。
【サクラと日本文化】
サクラは、日本人にとっては単に花の美しさを鑑賞するだけのではなく、
一種の精神的なかかわりを持ち続けながら、古代より今日にいたっている。
それは西欧社会におけるバラや中国のボタンよりもっと精神的、心情的といえよう。
サクラは記紀(きき:『古事記』と『日本書紀』との総称である)の時代から現代にいたるまで、
多くの文献や史実に現れ、時代によっていろいろな象徴または意味を持たされてきた。
サクラの文字が文献に現れるのはすでに記紀の中であり、「稚桜、桜官」
の文字が用いられている。ここでは桜の花や植物そのものを観賞することのためではなく、
単なる修辞(しゅうじ:言葉を有効に使って、うまく美しく表現すること)にすぎなかった。
サクラが鑑賞の対象として取り上げられるのは「万葉集」の中においてであり、
その中にはサクラを詠った歌が43首ある。しかしこの数は、ハギ(141首)やウメ(118首)
に比べるとはるかに少なく、万葉時代人の花の観賞ではまだサクラは中心ではなかった。
このころの上流階級の知識人の観賞の中心となった花は、
中国から渡来したばかりのウメの花であり、庭先に咲きこぼれるハギの花であった。
「古事記」上巻に出てくる「木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)」
は山の神である大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘で、
サクラを象徴する姫神で田の神とされている。山の神は春になると里に降りてきて田の神となるというが、
この姫神木花之佐久夜毘売は父の命でサクラの花に姿を変えて稲の穀霊として地上に現れたものとされた。
古代人たちは山に咲くサクラの咲き具合によってその年の稲の収穫を占った。
花が美しく長く咲くことを願う農民たちは、春の一日酒肴を用意して山に登り、
サクラの木の下で花に祈りつつ楽しく一時を遊んだ。
これが今日も見られる「花見」の原型であり、古くは山見ともいわれた。
平安時代になるとそれまでの中国文化崇拝の風調から国風文化隆盛の時代となり、
花の観賞の中心もウメからサクラへと移っていった。
「花」といえばウメのの花をさしていた奈良時代からやがてサクラいうようになり、
平安京紫宸殿南庭に植えられた左近の桜は、
一説によると承和年間にウメからサクラへ植え替えられたといわれる。
奈良時代以前にはきわめて農民的な生活にもとづいた神事であった「花見」も、
平安時代になると、上流社会の中でサクラの花の美しさをめでながら酒宴を張り、
そのもとで遊芸などを楽しむ「花見」遊びへと変化していった。
平安時代では「花見」の宴はまだ都会(京)の上流社会の行事でしかなかったが、
鎌倉、室町時代になると地方の豪族や武士の社会にまで広がり、
やがて江戸時代になると庶民の中にも浸透してゆき、
とくに都会に住む人間の最大の行楽にまで発展した。
やがて各地に花の名所ができ、庶民文化にも大きな影響を与えた。
サクラが上流階級から庶民に至る日本人のすべてに愛されるようになり、
この花が日本人の心情や生活感覚にぴったりの花としてもてはやされ、
「花は桜木人は武士」といわれるまでにサクラは日本人を象徴する花となった。
サクラは一度に華やかに咲きそろい、散るときはには未練もなくいさぎよく散る姿が
武士の気質に相通じる花として讃えられたものであろう。
この言葉は江戸中期につくられた歌舞伎の中で用いられたため人口に膾炙
(かいしゃ:広く知れわたっていること)したものといわれる。
この言葉と本居宣長の歌は、日本人の心情をサクラに託して吐露
(とろ:気持・意見などを隠さずに他人にうちあけ述べること)したものとして、
日本人の生き方を大きく左右した。
十一・十二枚目(左上・左)は、ライトアップされた桜並木である。俗にいう「夜桜」である。
十三-1・2枚目(左・左下)は、野の調べさんが、「桜が咲きました!」のタイトルで、
次のコメントをつけて、私に送ってくれたものである。
『 草木が萌え出し、日毎に暖かい日が続いていますが、
桜が見頃を迎えました。シナミザクラの木が早春の日に
映えて光り一足早い春の訪れを告げているようです。
葉よりも先に開花し、雄しべが目立っっています。
シナミザクラは、漢字で「支那実桜」と書き、中国原産。
しばらくすると真っ赤に熟れた果実ができます。
去年はヒヨドリよりも先に食べましたが、
甘くて美味しかったです。』
ということで、支那実桜を調べたが、長いこと分からなかった。
しかし、やっと分かりました。
シナミザクラは、オウトウの一種であることがわかり、
シナミザクラ のページを作成した。
十四枚目(左)は、 hiro&shii さんが、
「こんばんは(*^_^*)」のタイトルで、次のコメントをつけて、私に送ってくれたものである。
『 先日みてきた三春の滝桜・・満開は過ぎていました
が・・ 感激してきました。千年以上もたくさんの人たちに
きれいな花をみせてくれているそうです。人・人・人・・で
渋滞にも会いましたが満足(*^_^*)でした。』
三春の滝桜は、エドヒガン系のベニシダレザクラで、大正11年に国の天然記念物の指定を受け、
日本三大桜のひとつに数えられている。樹高は13.5m、枝張りは東西に25m南北に20mに達する。
四方に伸びた太い枝に、真紅の小さな花を無数に咲かせ、
その様がまさに水が滝のように流れ落ちるように見えることから、
滝桜と呼ばれるようになったと言われている。
十五枚目(左)は、サクラの葉の紅葉である。
サクラの紅葉を美しく見るには逆光で見ると美しく見える。
皆さんも是非一度試してみて下さい。
ところで、日本三大桜は三春滝桜(福島県)、神代桜(山梨県)、
淡墨桜(岐阜県)の1本桜のことだそうで、日本三大桜の名所は弘前公園
(青森県)、高遠城址公園(長野県)、吉野山(奈良県)のことだそうである。
[ 引用 : 園芸植物大事典
( 塚本洋太郎総監修:小学館発行 )]
十六枚目(左)は、 Junko さんが、
「早くも12月」のタイトルで、次のコメントをつけて、私に送ってくれたものである。
『 日中は暖かですが、朝は日の出が遅く夕方は早く
暮れ少し寒く感じます。先週、今年最後と思って紅葉の
京都を歩いてきました。嵐山方面は我が家からは少し
遠く、いつも同じ京阪七条で電車を降りて清水寺方面
に向かい観光客の雑踏を抜けて高台寺方面へ。そして
祇園四条・京阪三条へと歩きます。それだけ歩くと
16000歩くらいなのでちょうど良いお散歩コースです。
その時の写真貼ってみます。お天気が良くってきれい
に撮れたと思うんですが… 縮小したので感じが違う
かな?
左・桜もみじ 中・三年坂の店の裏にこんなところが
右・八坂の塔(清水寺近く)です。』
十七枚目(左)は、「さくらんぼ」である。自然にできるサクランボは
こんなにまばらで粒も小さいものしかできないのがふつうである。
果樹としての「さくらんぼ」にするには、おおくの手間暇がかかることがよくわかる。